創作の色々
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最近ツイートをまとめられてなかったので、古い所から遡っていこうと思うのでした。
・わからないものについて
答えを探し続けようと思う気力が、自分の創作を止めどないものにしてくれる。何かを知ろう、理解しようとする思いがある内は、インプットを続けられる。内に溜め込んだ澱を、燃やして形にしなければ生きていけない人間なのだ。
— まフェ (@Magenic_Cafe) December 8, 2018
わからないものがある。手に取れない曖昧なものだ。その曖昧なものが宿る器を作ろうとしている。描かれたものは器、だが、そこには常にある一定の揺らぎを持った魂が封ぜられているように。
— まフェ (@Magenic_Cafe) December 8, 2018
https://twitter.com/Magenic_Cafe/status/1071349710038851584
個人的な嗜好として、難しいものの方が好きだし、言語化できないものが伝わるという事のすごさを感じる訳です。それを魂と言う言葉に代入してみたりもする。けれど、それが結局何なのかは判らない訳です。
蛇足で言えば、文脈の違うものを排除しないようにする自戒でもあります。
・描写と話の筋と、その比重と
割と最近ぼんやと思ったんだけど、ストーリーに説得力(現実味だけでなく、情感にも)を与えるために描写があり、これを演出と捉え、話の筋そのもののダイナミクス(大げささ・ドラマチックさ)によるか、シンプルな筋を面白く見せるかの問題に帰結していく以上、美麗さは演出上の要素の一つでしかない
— まフェ (@Magenic_Cafe) December 11, 2018
ちょっとややこしい言い方ですが、キレイであることは、ある表現を達成するための要素の一つだよ、という事です。
ざっくりと作品を、話の筋(≒ストーリー)と演出とに分けて捉えています。表現に説得力があるという事は、納得できるというだけでなく、体感もできる(前述で言えば、作者の魂を受け取ることができる)つまり、表現が理想的な姿で達成されている状態を言っています。その達成の為に描写、つまり演出がある。
ここでは、キャラクターや世界の設定なども、描写されなければ物語上に存在しないものとして考えているので、物語上に現れるすべての要素は、時系列(話の筋上)に羅列される描写の総体、としています。
ジェットコースターのような、人間心理の上下を巧みにコントロールする話の筋と構成を作るということと、一つのシーン、一つの仕草や流れにこだわるということは、どちらも一度、言葉として捉えてみるべきなのだと思う。自らの感覚はどちらに向いているのか
— まフェ (@Magenic_Cafe) December 11, 2018
すばやく面白く人の顔色を一つ一つ観察しながら、その人を笑わせたり驚かせたりすることと、滔々と語られる言葉の調に陶然とさせることの差でもある。目的意識の差でもある。私の目的は人の反応にあるのか、それとも、自らの見る幻想的美の中にあるのか。
— まフェ (@Magenic_Cafe) December 11, 2018
ここまで僕は無意識に、語られるもの、つまり、映像であったり小説であったり漫画であったりという、一方向のメディアについて語っていたのでした。ある種のゲームや生配信やと言ったものにはそれだけでなく、コミュニケーションの要素が含まれてきて、これを全く想定の外に置いています。
この二つ目のツイートも、インタラクティブ性について語っているように見えて、あくまで読者の反応を想定したものでしかなく、その反応が作品の本体には関わらないものとしています。
もちろん、一方向のメディアでも、友人同士での共有やイベントへの発展など、別途コミュニケーションの要素が生じる場合もあります。
コミュニケーション(互いの人格の交流)は、表現を測る第三の軸と言ってよいでしょう。
・昭和の価値観
そんなもん想像する勝手なイメージな訳ですが。
吉村昭の「漂流」を読んでて、ふと北大路欣也の「空海」を思い出したように視たんだけど、共通することは「大衆」の描き方のリアルさなんだよな。通底するテーマが似てて、それは昭和的価値観で、はっきり言ってダサいんだけど、でも多分本当にそうなんだろうなと思わせる、ある種の観察に基づいている
— まフェ (@Magenic_Cafe) January 18, 2019
その根底には間違いなく戦争体験があって、それを大衆の団結によって復興していく姿の体験があって、それを当時の視聴者に説得力ある形で提示する結果としてあの画ができる。
— まフェ (@Magenic_Cafe) January 18, 2019
ハリウッド的な引きの画面で大衆が映るシーンって、みんな立ってる勝手な印象。テンポの問題もそうだし、CGの手間的な問題もあるし、そもそも僕のサンプルが偏ってるんだろうけど、力尽きて倒れた群衆が静かに目覚め、それが伝播していくようなシーンのダサさと説得力を、久々に見た気がする
— まフェ (@Magenic_Cafe) January 18, 2019
まあ、主観的な感想です。
昭和的価値観を引きずる作品において、そしてそれが大河的な広さを持つ作品であれば、大衆の描写から逃れられるものではなかったのではないか。平成のごく初めまで位はそういった作品にどこかで触れていた気がする。
— まフェ (@Magenic_Cafe) January 18, 2019
そんなような。そうでないような。備忘録程度に。
今日はいったんこれくらいにしておこうと思います。
enic_Cafe/status/1071348638855491585